観劇感想 柿食う客「完熟リチャード三世」

2月13日に柿食う客の女体シェイクスピア「完熟リチャード三世」を観てきました。

初見であることに加えて一人の女優につき何役も

上演中にめまぐるしく演じ分け続ける演目ですので、

なかなか記憶を辿るのが難しく、それ故に物凄く偏った感想になります。

 

まず特筆すべき点と言えば、

この演目が「女体シェイクスピア」であるということ。

その名の通りに、シェイクスピアのリチャード三世を

7人の女優だけで演じるというものです。

それも舞台衣装は主役のリチャード以外の役者が全て黒のドレス。

メイクも髪型も女性のまま、つまり

足を出したスカートや下ろした長い髪のままで男性役をこなしていくのです。

 

演じ方も、女の自分を捨てて代わりに舞台上に男を立たせるやり方ではなく、

女いう艶めかしい器で男の心をつるんとコーティングするような…

女特有の湿っぽさや生温かさを排除せず、

むしろそれに主導権を握らせながら男に落とし込んでいく。

まさに「女体」シェイクスピアでした。

 

舞台美術はごくシンプルで、中央に設置され巨大なチェス盤のみ。

その上に乗った役者が演じていくのですから、

つまりは登場人物はチェスの駒というわけです。

7人の女優が一人につき複数の役をかわるがわる瞬時に演じ分けながら

駒として物語を進めていく、これが複雑かつ独特の熱を帯びた

チェスというゲームの知略の数々のようにも見えてきます。

ダンスのようなモードなフォーメーションを次々に取りながら、

時折激しい照明の逆光に女体のシルエットを際立たせて、

駒たちはそれぞれの破滅へとひた走るのです。

 

女体というものには特有の臭気があります。

脂肪の多い柔らかな輪郭や媚びるような肌のつやから漂ってきます。

ぼってりとしたそのグロテスクを、鋭利な黒で包めば

それはなおさら強く見る側にアプローチしてくる。

女体というグロテスクが黒という刃物を手に入れたようなものです。

 

しかしその中において、リチャードだけは違います。

他の登場人物が一人残らず全て「女の器で男を包み込んだ存在」であるのに対して、
リチャードは服装は黒を纏いながらもパンツスタイルで、演技も少年~青年風です。
それからこれはやや主観ですが、かと言って完全な女の排除はしておらず、
どちらかと言うと男に近い中性と言った感じの印象を受けました。
それによって、女というエゴイスティックなグロテスクの中で
リチャードの迫害されてきたことによって生まれた悪意が
とてもピュアに引き立ち、そのコントラストが見事でした。

 

少年の傷ついた心がやがて歪なケロイドになり、
恐ろしい悪意へと肥大していく様が
彼が青年になってからもどこか思春期じみた透明感を残したまま伝わってきます。
これはリチャード役の安藤聖さんの上手さだと思います。

 

安藤聖さんの素晴らしさは、
「知性のある子供」を演じることの上手さです。
決して完成された美しい大人にならず、
青年へと成長していく中でも、傷つけられた時の子供の姿がずっと
リチャードの中にうずくまり続けているような。
それでいて残酷なまでの知性と、観客に訴えかけるカリスマ性、
言わばダークヒーローのような魅力を兼ね備えているのです。

 

冷血な頭の良さ、そして裏腹に見え隠れする幼児性。
相反するものを同時に抱えたリチャードは、終盤脆さを露呈します。
「怖い」という言葉を初めて口にしたリチャードは
もはやダークヒーローなどではなく1人の弱い子供で、
裏切らないでよ、と部下に泣きつく姿は今にもちぎれそうに哀れでした。

 

この演目には所々笑いの要素も含まれていて、
脇を固めるキャラクターなどをややコミックタッチとも言えるような
デフォルメされた個性で描き出しています。
これがあることも、間髪入れずに舞台上でめまぐるしく変わっていく配役も
分かりやすく追いかけていくことを可能にするための要素のひとつだと思います。
「このお決まりの台詞を言ったらこのキャラだな」というのがあるんです。
この手法が実に軽妙洒脱で、ダークな美の中にどこかポップな感じも匂わせてきました。

 

演劇って面白いんだな、と思わせられる作品でした。
グロテスクと、臭気と、湿っぽさと、生温かさと、鋭利さと、
悪意と、狂気と、時折ふわりと舞い降りる透明感。
クセの強い演目ですが、それゆえの終演後のシニカルな熱っぽさがたまらない。

 

東京公演は千秋楽を迎えましたが、
大阪公演と岐阜公演は(残り少ないですが)まだありますので、
もしご興味おありでしたら是非観てほしいです。


おわり

 

次は劇団四季のクレイジーフォーユーを観に行く予定です